スピリチュアリティ−これぞ「修行な日々」!

私は小さい頃から「この世は無常だ」と思っていました。それは多分幼稚園に通っている頃から。幼い頃から子供らしく騒いだりはしゃいだりすることなく、常に変わっていく時の流れの中で、なんだかいつも不安定な気持ちを抱え、安心することがありませんでした。私はずっとずっと、この世に何か揺るがないものはないか探していたのです。「苦悩する幼稚園児」だったんですよ、当時は(笑)。周りの子供達は皆楽しそうに見えたので、子供が嫌いになりました。「楽しくないのは私ひとりだけなんだ」と、かなり深い孤独感の中に沈んでいた日々。10年ほど前に退行催眠で3歳に戻った時、家族団欒の夕食の席にいた3歳児の私の背中は、圧倒的な孤独を背負っていました。それを感じて、40歳の私は泣きました。
まあ、それからいろいろあって、「楽しくやっていかないと、あまりに人生つまらない!もう考えないで楽しもう!」と気持ちを切り替えた私は、大人になってからはバブルも真っ只中で享受させて頂き、それなりに楽しい気持ちにもなっていたのですが、心の奥底に押しやっていた「理由のない不安」は時々顔を出し、「楽しい!」と思った後は急に虚しくなったり、結局いつも心のどこかに冷めた部分を感じていたのです。「この世には確かなものはないんだな」と感じた私は、「じゃあ、それはあの世にはあるのかも・・・・」と思い、スピリチュアルなことに興味を持ちます。大学生の時には密教の本なども読み、クンダリーニの覚醒法とかマニアックなことも研究しました(まあ本読んでもチンプンカンプンだったし、あまりに厳しい修行法で試しもしませんでしたが)。当時スピリチュアルなことは、日常生活の中にはなく、何か特殊な怪しいことだったので、もちろん誰にも言いませんでした。ところが今や、空前のスピリチュアル・ブーム!!TVではゴールデンタイムに「オーラの泉」もやってるし、本屋に行けば「精神世界」コーナーが結構なスペースをとっています。サイキック・リーディングやヒーリングも、占いや治療のバリエーションとして利用する人も多いし、2012年やアセンションや、ジュセリーノの予言や、ヘミシンクや、挙げていったらきりがないほど、さまざまなスピリチュアルな話題に溢れています。面白いですよね〜。今じゃ、すでに普通の話題だし、今一番盛り上がるのは、スピリチュアルな話―という今日この頃。

ルルドの泉の聖水
ルルドの泉の聖水

というわけで、スピリチュアルなことに関する情報入手は、いまやとても簡単です。今の生活の中で何かを悩んでいる人は、江原浩之さんの本を読んで悩みが軽減するかもしれないし、「ザ・シークレット」を読んでやる気になるかもしれない。能力開発セミナーの数ほど精神世界系のセミナーもあって、悩みを抱えた人はせっせと通っています。本を読んでも、セミナーに参加しても、「ああ、私は変わらなければ・・・・」と思うのですが、頭では理解できても、本当に心の持ち方が変化して自分が変容するまでにはなかなか至りません。

アッシジ 聖フランチェスコが瞑想していた丘
アッシジ 聖フランチェスコが瞑想していた丘

私も「このままでは嫌だ」「私は変わらなければ」と思っていた時は、ずっと外に解決策を求めていました。40歳くらいに出会ったバーバラ・アン・ブレナン式ヒーリングにも、お金も時間もつぎ込んで通ったし、ルルドの泉にも、私の聖地アッシジにも何度も通ったし、すごい数の本を貪るように読み、世界中でいろいろサイキック・リーディングを受け、とにかく気になることは何でもしました。

もちろん、やってきたことはすべて、自分の考え方を着実に変えてくれ、人生も変わっていきました。それでもなお心の片隅には「私が探しているものはまだ見つからない。他に何をすればいいんだろう?」という疑問が残っていました。そんな生活を続けて7年くらい経ってやっと「解決策はすべて自分の中にある。すでにあるものに気付いていないだけ」とわかりました。

知識としては、とっくに本の中で読んだことでしたが、それは頭で分かっても仕方ないのです。全身で「そうなんだ!」と腑に落ちることが必要なのです。そこに気付いた時、体調を崩したことも重なったので、「もう頭で考えることを止めて、自分の体ととことん向き合ってみよう」と決心しました。これがBINGO!でした。


国内の温泉での湯治から始めて、1ヶ月にわたるインドでのアーユルヴェーダ治療・食事法の改善と探求、赤坂のおばちゃんのエネルギー治療などなど、お金も時間も使って、体を良くすることだけ考えて、気にとまったことはすべて試しました。体と向き合う生活を始めたある日の朝、目覚めたら「今、此処にいるだけでいい」というメッセージを受け取りました(声が聞こえたというわけではなく、そういうメッセージが全身に染み渡って理解する感じ。自分の思考から来た言葉ではないことはハッキリしていました)。それから1年後のある夜、ベッドに入ったら一晩中脳内に電気的なウェーブが行き交い、全身の細胞が書き換えられた感じがし(あくまで私が感じたことです)、一睡もできずに朝起き上がったら、「今まで一生懸命『自分』を探していたけど、『私』なんて『ない』んだ!!」という観念と「今まで一生懸命『自分』を探していたけど、『私』は『ここ』にあった!」という観念を同時に得ました。その時から、私の内に常に存在していた「理由のない不安」は消えました。私は「ない」んだから、不安も「ない」んです!それまで何十年も、ちゃんと自分で生きてきた、確かに自分の人生だけど、すべてが芝居だったような気がしました。「ああ、もう演じなくていいんだ。とりあえず楽屋で休もう。やっと『自分』に戻れるな〜」と、安心しました。何十年もの間、休みなく演じ続けていたんですから、心も身体も疲れ切ってしまいますよね。
そして今は、「理由のない安心感」に浸っています。よく分からないけど、確かなものを自分の中に感じています。こんな日が来るなんて思ってもいませんでした。「悟り」というわけでもないと思いますが、私はずっと探していたものを見つけました。確かじゃないけど確かなものを!今までに感じたことのない「気持ち良さ」です。そうなると、元々が超快楽主義だったらしく、もっと気持ちのいいことを味わうための苦労は厭いません。その後は、インドのワンネス・ユニバーシティで「21日間プロセス・コース」を受けてディクシャ・ギバーとなり(2007年9月)、翌年春には「レベル2」も受講しました。友人たちがずっと私のディクシャを受けてくれていますが、皆の人生にも大きな変化が起こっています。自分の学びのために受講したコースでしたが、私のディクシャで実際に友人たちに効果が現れているのを見ると、本当に嬉しくなります。

グルの孤児院
グルの孤児院

2008年の現在は、2年前にアーユルヴェーダの治療中に出会った、ドイツ在住のインド人(ドイツでアパレルの会社を経営しながら、土日は人々の相談にのったり、スピリチュアルなことを教えるワークショップをしています。ドイツとインド半々で生活をしていて、インドに6つもの孤児院をプライベートで持っています)のグルがいます。このグルに、最終的に通らないといけなかった大きな気付きを得る手伝いをしてもらいました。「あなたの幸せは、人に与えること」と教えてくれたのもグルでした。3ヶ月に1回ほどインドに通いながら、クリヤ・メディテーションの奥義を教えてもらっています。最近、友人に「あなたにとっての究極の快楽は『悟り』!」と言われましたが、どうもその通りのようです。ただ、この三次元に肉体を持っている限り、この世を十分に楽しむのが、とても大事だと私は思います。「人生=人間関係」(これはバガヴァンが言ったこと)なのですから、人間関係でいっぱい学ぶことも楽しまなくては!私のグルは、ドイツでアパレルの会社を持っているくらいですから、ファッションも大好きです。インドではよく私のショッピングにも付き合ってくれるし、ステキなホテルで食事をすることも楽しみます。「修行」って辛いこと、我慢することではなく、本当に楽しんでやることで、どんどん宇宙からサポートが来る感じがします。今後は、私が学んだことをお伝えすることで、ほんの少しでも皆様のお役に立てるのなら、それをせっせとやっていきたいと思っています。もちろん「修行な日々」は死ぬまで続くので、新たな情報もお伝えしながら。